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Society 5.0とは何か。

f:id:hiro_rhizome:20170112230031j:plainSociety 5.0という言葉をご存知だろうか。

1億2千万人の日本国民の中で、どれだけ浸透しているのかは心もとないが、日本の科学技術政策の中核を成す第5期科学技術基本計画で、めざすべき未来社会として提唱されたコンセプトである。

1年ほど前に公表され、昨年秋には正式に閣議決定した国の政策、すなわち税金の使い道に関するアカウンタビリティの一つなのだ。

役人が作る資料というものは、古今東西、面白くもおかしくないものだろうというのが定石だが、かくも長期にわたって低迷し続けるこの国の国家官僚が抱く危機感は侮れない。

少子高齢化以下、世間で論じられてきた社会課題や問題意識はほぼ合意形成がなされており、普通に思い浮かべるようなテーマはほぼ網羅されている。

そのうえで、ではいかにしてそうした共通課題に応え、一つひとつの個別具体的な問題を解決していくのかーー。実行可能性が今まで以上にシビアに求められてくる。

そして、科学技術をどう駆使して、イノベーションを生み出し、課題解決のモデルを築いていくのか、その可能性への期待を国民世論の中で高めていくのが、Society 5.0の本来の目的でもあろう。

しかし、この構想は、決して行政や一部の大企業などエスタブリッシュメントが取り組むことで実現するようなものではない。

トップダウンのお仕着せによる官製モデルとして敬遠しているだけでは、ここで理想とするような、私たち国民一人が国家と対等に向き合う、真の国民主権に基づく未来社会は画餅に終わる。それでは今までと何も変わらない。

重要なのは、行政や既存組織ではなくて、フリーな個人一人ひとりの意識やリテラシー、そして行動のほうにあるはずだ。

 

そんな主体的な思いに駆り立てる何かがSociety 5.0というタームにある。

何とか「2.0」だの「5.0」だのは、いかにも今風で軽薄な物言いだが、ここでいう「5.0」とは先行したドイツの産業政策「Industrie4.0」の次という意味ではない。

実は、はるかに大きな文明史的スコープから、狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続く5つ目の新たな社会のあり方と指す言葉であり、背後にあるのは人類学なのである。

そこから続く「超スマート社会」の形容句は再びいかにも今風で軽薄に戻ってしまうが、この文明史的スコープには、人類史をたった一つの視点からシニカルに描いてみせた『サピエンス全史』が全世界的ベストセラーになる知のトレンドを先取りし、21世紀の成熟知、老熟知と深いところでつながっているように思える。

 

Society 5.0の具体的な狙いは、かつては必ず政治テーマとなったような社会イノベーションをいかにビジネスの枠組みの中に取り込んでいくか、にある。従来型の経済合理性だけでは決してドライブしない領域にいかにして活力を与え、社会全体の持続可能な成長または活動につなげていくか、壮大な社会実験の意義も込められている。

しかし、それ以上に飽和するテクノロジー群をいかに活用し社会還元するかも喫緊のテーマでもあろう。そのためにはテクノロジーを課題の近くに配置しなければならない。ここにも多くの壁やハードルがある。

 

おのずとビジネスや経済の領域を逸脱し、思想戦にならざるをえない、これらのテーマを、まずは個人の立場から考えていきたい、と思う。